自分らしい声を見つけて:ヒスパニック文化遺産月間を振り返る
Luisamaria Hernandez
2021年10月8日
0 分で読めますヒスパニック文化遺産月間 は、9月15日から10月15日まで、米国におけるヒスパニック系アメリカ人の貢献をたたえる期間です。この記事では、SnykのPeople Experience CoordinatorであるLuisamaria Hernandezが、彼女にとってのヒスパニック文化遺産月間の意味、言語が大切な理由、そしてヒスパニックとしてのルーツがオペラ歌手としての自分にどのような影響を与えたかを語ります。
「大人になったら、何になりたい?」
子どもの頃、この質問を何度もされたことを覚えています。ヒスパニック文化遺産月間になると、どうしてもその答えについて考えます。私にとって「誰」は、たった一人の人物ではありません。今日、こうして皆さんに文章を届けられるよう道を切り開いてくれた、私より前の世代の人々のことを思います。「誰」とは、私の家族一人ひとりです。まじめに働き、私の言葉では到底表現しきれないほど多くのことを教えてくれた人たちです。
彼らは華やかな肩書きを持っているわけでも、大企業を経営しているわけでもありません。小売業の従業員や医療事務職員、銀行員、専業主婦です。彼らの暮らしは、血と汗と涙、そしてたっぷりのsazónで成り立っています。鍋の中では、もうsancochoが煮込まれているほどです。
私だけでなく、皆さんの身の回りにある多くのものに影響を与えてきたヒスパニック系アメリカ人は、数えきれません。Ernie Cordova、Isaura Gaeta、Dario Gilのようなテクノロジー分野のリーダーから、Rodolfo “Corky” GonzalesやCarlos Russell博士のような活動家まで。そして、Jennifer Lopez、Carolina Herrera、David Ortizのようなエンターテイナー、アーティスト、アスリートも忘れてはなりません。こうした大きな存在感を放つ人々は皆、自らの影響力と知名度を生かして、私のような人たちに成長への足がかりと成功の可能性を与えてくれました。
米国のこの祝祭は、1968年にLyndon Johnson大統領が1週間の記念行事として始めました。20年後、Ronald Reagan大統領によって、9月15日から10月15日までの1か月間に延長されました。ヒスパニック系アメリカ人がこの国に惜しみなく与えてきたものをたたえるには、31日間では到底足りないと、私は思います。
言語は大切
言葉には力があります。ヒスパニックの人々は、そのことを証明しています。
子どもの頃、家族は私にスペイン語で話しかけ、私は英語で返事をしていました。あの頃、何を考えていたのか今でも分かりませんが、スペイン語を話すと、どこか自分が人と違ってしまうような気がしていました。それも、良い意味ではなく。6歳のとき、母は、私の名前に宿り、肌に映り、巻き毛に跳ね返る言語への私の反感に、ついに我慢の限界を迎えました。そこで当然、私たちは引っ越しました。
私たちが移り住んだのは、スペイン語を話す以外に選択肢のない場所、ドミニカ共和国でした。数か月もすると、私はスペイン語を学ぶことを受け入れ、「違う」ということは、とても心地よいものにもなり得るとすぐに気づきました。
数年後、私たちは米国に戻りました。するとすぐに、ヒスパニック系アメリカ人であることは、巻き舌のように複雑なものだと分かり始めました。ヒスパニック系の人々の米国への貢献として認識されるのは、音楽や野球の腕前、味覚を旅に連れ出すような料理といったものが多い傾向にありました。でも私にとって、ヒスパニックであることはそれだけではありません。母のような人たちがこの国に毎日もたらしてきた貢献を目の当たりにしてきました。母の仕事への姿勢、物の見方、人を助ける情熱は本当に素晴らしく、そうした資質は母だけのものではなく、ヒスパニックであることに根差しているのだとはっきり分かりました。
成長するにつれて、スペイン語は、限られた私の語彙では表現しきれないほど複雑で繊細なことまで伝えられるのだと知りました。母に「今日はどう?」と聞くと、母はただ「元気よ」と答えるわけではありません。舌を巧みに動かし、息を重ね合わせ、周りにいる人も私も旅へと誘うような、さまざまな音を紡ぎ出していました。周囲の人々がスペイン語を話すのを聞き、会話に加わろうとするうちに、辞書に載っている言葉をはるかに超えた世界があることにも気づきました。私が耳にした物語には、苦難に満ちた歴史と、それでもしなやかに耐え、最も暗い出来事さえ乗り越える力が込められていました。異国へ移り住むということは、新しい暮らし方を学ぶことです。そして米国に暮らす多くのヒスパニックの人々にとって、家族の出身地の歴史や文化を守ることは、心の支えとなりました。ヒスパニック文化遺産月間について考えるとき、私の心に浮かぶのはこのことです。
私は人生のさまざまな場面で、多くのヒスパニック系アメリカ人から影響を受けてきました。とりわけオペラ歌手として活動するうえで、大きな指針となっています。ラテンアメリカ、カリブ海地域、スペインのレパートリーを専門にしている今、かつてスペイン語を毒ツタのように感じていたことを、皮肉に思います。自分のために書かれたように感じる音楽を聴き、演奏することほど心を揺さぶるものは、そうそうありません。母が、私から初めてスペイン語で返事をもらったときに感じたのも、きっと同じだったのだと思います。母が私に命を吹き込んでくれたその音を、小さな私の声で耳にしたとき、どれほど誇らしかったことでしょう。

ヒスパニックとしてのルーツを誇りの証として身にまとってきた長い年月を経て、自分の物語と歌のキャリアの中心にどんな音楽を据えるか、迷うことはありませんでした。スペイン語の音楽は私の定番となり、米国人口の13%の人々が、祖先が知っていた故郷を思い起こさせる歌声を聴いてくれる。そのことは、6歳の頃の私には想像もできなかったほど大きな喜びです。
ここでは、ヒスパニックであること、そして同じコミュニティの人々を見上げてきたことが、自分の人生に与えた影響について、私自身の経験を語りました。音楽と物語を通じて、先人たちの貢献を守り、たたえることを選んできましたが、ヒスパニック系アメリカ人がこの国の礎に消えることのない足跡を残してきたことも知っています。また、米国には成長と理解を深める余地がたくさんあると感じています。何より、言語は大切です。私のルーツと文化も大切です。
大人になったらどんな人になりたいか、あらためて考えてみても、答えは変わりません。母、兄弟、いとこ、おばたち、おばあちゃん、名付け親、そして姪や甥のような人になりたい。彼らはヒスパニック系アメリカ人の中で、声高に語られることのないヒーローです。そして、彼らが私の歌に意味を与えてくれるのです。大切な人たちが、ヒスパニックであることが周囲にもたらすものを体現しているのなら、私の情熱あふれる語り口とサルサに合わせて踊るような足取りも、歌や言葉を通じて、たとえ小さくとも道を切り開けるはずです。

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