Black@Snyk:2022年ブラック・ヒストリー・マンスを祝して
Snyk Team
2022年2月24日
0 分で読めますブラック・ヒストリー・マンスにあたり、Black@Snykのメンバー3人に話を聞きました。Black@Snykは、黒人従業員とそのアライのための従業員リソースグループです。それぞれの個人的な経験について伺いました。ブラック・ヒストリー・マンスは米国で始まりましたが、Sharon、Michael、LaToyaが世界各地のコミュニティで育った経験や、これまでの歩みで学んだことを語ります。
Sharon Ikhuoria、シニア・セールス開発担当者(SDR)、イングランド・ロンドン

Sharonは2021年5月にSDRとしてSnykに入社し、同年12月にチーム内でシニア職へ昇進しました。中小企業を営む家庭で育ち、学位を2つ取得。現在は経営学博士課程に在籍しています。
ブラック・ヒストリー・マンスは、黒人の重要な人物たちをたたえる月です。彼らは、私たちが歩んできた道や成し遂げてきたことを形作ってきました。祝福と理解を深めるこの月を通じて、私たちも他の人種と同じように大切な存在であり、肌の色に関係なく平等であることを認識します。
私はナイジェリアで生まれ、2歳のときにドイツへ移りました。アフリカ系ドイツ人です。ドイツで育つなかで人種差別を経験し、「どうして私はほかの子と違うの?」「なぜ見た目が違うの?」「なぜ人から違う扱いを受けるの?」と自問したことを覚えています。
子どものころ、両親からは、ほかのクラスメートの2倍努力して優れた成績を収めるよう、いつも言われていました。人は私の肌の色や能力を見て、私に対して2倍も懐疑的になるからです。自分には十分な力があると絶えず証明しなければなりませんでした。人種とは何か、なぜ重要なのかもよくわからない10歳の子に、それを求めるのは大変なことです。多くの黒人が、こうした考え方を身につけて育つのだと思います。特に、親が移住した新しい国で育つ第一世代や、親が移住のために経験したこと、道中で直面した困難を知っている人たちにとってはそうです。
黒人人口の多い米国では黒人の歴史について語られることが多い一方、ドイツのような国では、自分の居場所を見つけるのがより難しいと思います。ヨーロッパでは黒人人口がそれほど多くなく、部屋にいる有色人種が自分だけということもよくあります。ドイツ語で人と話すと、アクセントなしで話すことに驚かれることがあります。私の肌の色を見て、外国人で、教育を受けておらず、ドイツの社会や文化に十分溶け込んでいないと決めつけるのです。ここで育ったにもかかわらず、です。
つい先週、15歳の弟が学校から帰ってきて、クラスメートと口論になったと話しました。騒がしくしていた生徒に静かにしてほしいと伝えたところ、その生徒は弟に「プランテーションに戻って羊毛を摘んでこい」と言い、黒人への差別語を浴びせたそうです。家族全員がひどく憤りました。このような経験は心に深い傷を残します。人生を通じて影響を及ぼすのです。
子どもたちを励まし、自分と同じような経験をしている人がほかにもいると伝えることは、とても大切だと思います。自分たちと同じことに直面し、目の当たりにしている人がいると示すのです。自分を代表する人の存在はとても大切ですし、学び成長し続けることも、私にとって常に重要でした。私はかなり負けず嫌いで、これまで成し遂げてきたことを誇りに思っています。2020年に理学士号を取得し、2021年に修士号を取得。現在は経営学博士(DBA)課程に在籍しています。勉強や論文を書くことが大好きですが、私の原動力には、私のコミュニティや出身地の人たちに、こうしたことは実現可能だと示したいという思いもあります。ほかの有色人種の人たちにとってのロールモデルとなり、私にもできると感じてもらいたいのです。特にドイツでは、私と同じ肌の色で博士号を持つ人を見かけることはほとんどありません。
学校がすべての人に向いているわけではありませんが、自分の得意なことに取り組み、良い質問をすることを勧めます。自分がSnykでテクノロジー分野の仕事に就くとは思っていませんでした。教育を受ける必要があると考えていたら、Snykとの縁ができたのです。採用担当のHeidiから連絡があり、面接から数日後にはSnykから内定をもらいました。博士論文を執筆中の採用で、学業と仕事の両立は大変でしたが、なんとかやり遂げました。技術職の人間ではありませんが、自分に挑戦したかったのです。
自分に挑み続け、学び、自分を信じることが大切だと思います。心の傷によって、目標の達成を諦めないでください。
Michael Poe、セールス・アカウントマネージャー、スウェーデン・マルメ

Michael Poeは、前職のFossIDがSnykに 買収されたことを受け、2021年にSnykに入社しました。長年にわたりセールスとマーケティングで確かなキャリアを築き、5大陸で働き、暮らした経験があります。
私にとってブラック・ヒストリー・マンスが大切なのは、そうでなければ見過ごされたり、正当に評価されなかったりする多くの人々の功績や人生に、必要な光を当ててくれるからです。また、今日の世界で「黒人であること」が何を意味するのかを考える機会でもあります。父親として、息子に自分の民族的背景を教えることが大切だと考えています。私たちはスウェーデンに暮らしており、息子の経験は、米国で育ち「黒人であること」をより意識していた私の経験とは異なるため、特に重要です。そこで今年は、自分の経験や、複数の人種的背景を持つ息子が何を予想し、何に気をつければよいかを話す機会にし始めました。
たとえば昨日、息子は自分の肌を指さして、「じゃあ、僕は何なの?」と聞きました。10歳になり、こうした質問をし始めたところです。私は「それは、自分をどう認識するかによるよ」と答えました。複数の人種的背景を持っていると説明すると、息子はそれがどういう意味かと尋ねました。父親として、息子に自分の経験を伝え、世界が息子をどう見るかに備えさせたいと思っています。特に、息子自身の見方と違う場合に備えてほしいのです。息子に否定的な見方を植えつけたいわけではありませんが、心構えはしてほしいと思います。
その方法の一つは、ニュースや、耳にすることになる出来事について息子と話し合うことです。たとえば、2020年5月にGeorge Floydが殺害された後、マルメで大規模なBlack Lives Matterの集会がありました。妻と息子と私は集会に参加し、なぜこれが重要なのか、なぜ私たちが支持を示すことに意味があるのかを息子に説明しました。
自分自身の過去を振り返ると、私はボルチモア西部で生まれ、本来ならそこにとどまっていたはずでした。母は16歳で私を産んだシングルマザーでしたが、私たちをニューヨーク市へ移すことを決めました。私は進学校に入学し、その後マサチューセッツ州の寄宿学校に進んだため、ニューヨーク市の公立学校に通ったのは9年生まででした。成長するなかで、自分のアイデンティティに悩むこともありました。自分の居場所を探していましたが、当時はどちらのコミュニティにもなじめないと感じていました。同じ肌の色の人たちといても、見た目は似ているのに自分はなじめないと感じました。自分と見た目が違う人たちといても、やはりなじめないと感じました。何が自分を人と違わせるのかにこだわるのではなく、自分らしさに目を向ける。それが私のやり方でしたが、息子は私よりずっと好奇心旺盛かもしれません。
子どもと同じような会話に向き合っている親に助言するなら、子どもが会話を主導できるようにしてあげてほしいと伝えます。話題をどう分けるか、どこまで深く話すかは子どもに任せましょう。そして親の役割は、耳を傾けることです。こちらが話してばかりでは、子どもが伝えてくれる必要な情報や気づきを受け取れません。息子にわかってほしい大切なメッセージの一つは、違っていても何も悪くないということです。違いを恐れてほしくありません。違いがあるからこそ、世界は興味深い場所なのです。
LaToya Muff、シニア・ライフサイクルマーケティングマネージャー(パートナー担当)、ジョージア州アトランタ

LaToyaは2022年1月にSnykに入社し、グロースマーケティングチームで新設された役職に就きました。パートナー向けインテグレーションのユーザー体験の取り組みを主導し、パートナーによる利用を促すコミュニケーションの仕組みを構築しています。テクノロジーが世界のビジネスのあり方を変革し、企業のデジタルトランスフォーメーションへの適応をマーケティングが支えていることに魅力を感じています。
ブラック・ヒストリー・マンスは、歴史を通じたアフリカ系アメリカ人の功績や犠牲をたたえ、その物語をより深く理解する機会となるため、私にとって大切です。
私は、ジミー・カーター大統領の生まれ故郷であるジョージア州プレーンズという小さな町で育ちました。両親が1950年代、60年代にこの町で育ったころは、まだ人種隔離がありました。両親はあまり話しませんが、時折、私が初めて聞く当時の話をしてくれます。驚くような内容です。たとえば、私の祖父母は小作農で、祖父母が働いていた農場の一つは、黒人と白人の農家が一緒に働ける場を設けた、最初期の人種統合農場でした。この協同組合コミュニティは、従来の小作農とは異なり、町の人々のなかにはそれを快く思わない人もいました。両親は、家の玄関先にKKKが現れ、事業を妨害されたり、庭で十字架を燃やされたりしたことを覚えています。祖父母が経験したことを思うと、本当に信じられません。特に、それほど遠い昔のことではないのです。
子どものころ、ジョージア州南部で成功するのは難しいと感じていました。もっと機会のある場所に移りたいと思い、アトランタへ移住しました。アトランタは歴史的に、黒人が活躍できる場所です。アトランタ都市圏とその周辺には黒人が多く、安心感が生まれます。この街で成功している人たちを見るのは素晴らしいことですが、南部の都市ならではの難しさもあります。アトランタは間違いなく黒人にとっての中心地ですが、ここでも人種差別がなくなったわけではありません。
黒人アメリカ人の経験は大きく前進してきたと思いますが、進歩はまだ十分ではありません。たとえば、黒人は今も、世代を超えた資産を築く可能性が他の民族集団より低いままです。歴史を通じて、黒人が活躍し、世代を超えた資産を築くことを妨げる措置が数多く取られてきました。個人レベルでは改善も見られますが、全体としては、まだ大きく遅れています。
自分の出身地や今に至るまでの道のりを振り返ると、最大のロールモデルの一人を思い出します。小学生のころ、学校のキャリアデーに卒業生が招かれ、生徒たちに仕事の経験を話してくれました。登壇者の一人はシステムアナリストで、そのキャリアに刺激を受けました。世界全体がデジタル化していくと気づき、その変革に自分も関わりたいと思ったのです。コンピューターサイエンスを学ぶことに決め、大学の選択科目でマーケティングに触れました。そこから数学と科学への情熱をマーケティングと組み合わせ、キャンペーン運営やユーザー体験など、現在の仕事につなげました。
この10年、テクノロジー業界でキャリアを築いてきた私から、テック業界への転身を考えている黒人コミュニティの方々に伝えたいのは、さまざまな意味で、最初は圧倒されるように感じるかもしれないということです。テクノロジー業界が急速に拡大するなかで、自分たちだけが取り残され、格差が広がっているように感じることもあるでしょう。目に見える多様性が少ないからといって、気落ちしないでください。自分の居場所をつくることを恐れず、周囲に合わせるために別人を演じる必要もありません。仕事以外の生活は、同僚、特にリーダーたちとは大きく異なるかもしれません。それでいいのです。それを隔たりと捉えないようにしましょう。多様性を受け入れ、自分らしくいることに自信を持ってください。
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